<難問をたずねて>
日本語に関するクイズを考えるにあたり、今回は解くのが難しすぎる問題を考えていました。
数学や物理学などでは「世紀の難問が解けた!」などというニュースをたまに聞きます。有名なところでは、17世紀のフランスの天才数学者・フェルマーがノートの端に、ある予想を書き付け、その上で「この定理に関して私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる」と記した問題があります。これはフェルマーの最終定理と呼ばれ、数々の数学者の挑戦を退け、1995年にようやくイギリスのA・ワイルズによって解決されました。およそ350年の長きに渡って解決不能の難問だったわけです。
<難問発見>
日本語でもそんな問題はないかと思い、いろいろ調べてみると・・・ありました。考えようによっては、フェルマーの最終定理を超える超絶の難問です。
この難問は、現存する日本最古の歌集・万葉集の中に静かに横たわっていました。万葉集の第一巻、しかも冒頭から9番目、歌い手は古代の代表的な歌人である額田王(ぬかたのおおきみ)の歌です。
莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣吾瀬子之射立爲兼五可新何本
万葉集の時代はまだ平仮名が生まれていなかったため、すべての歌が漢字で書かれています。
問題は、赤文字にした上の句の読み方です。
この12文字こそが気の遠くなる歳月を経てもこれだ!という読み方が見つかっていないとされる難問です。
<なぜ問題となったのか>
読み方が判然としないのは、万葉集が作られて辿ってきた歴史と関係があります。万葉集はだいたい西暦780年頃に大伴家持によって完成されたと目されていますが、家持生前も公表されず、更に死後も朝廷内の暗殺事件への関与が疑われたため、遺物としても日の目を見ず、ようやく恩赦が下された後の800年頃に別の人が完成したのではないかと言われています。その暗い出生が影響したためか、万葉集はごく一部の人にだけに読みつながれ、950年頃に時の帝が歌人や研究者に読解を命じてはじめて日の目を見たのでした。
しかし、その時には万葉集が完成してからすでに150年ほどの時が流れており、もう平仮名や片仮名が流通していたこともあって読めない歌が少なからずあったのでした。
ちなみに、教科書によく挙げられている「東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ」という歌聖・柿本人麻呂の歌についても、もともと難読歌として知られたものでした。江戸時代の碩学・賀茂真淵が平安朝以来の読み方を否定して唱えた読み方が今日でも受け継がれ、名歌中の名歌とも評価されるにいたっています。ただ、実は、現代において古代日本語の用語法を精査すると、この読み方もまったく問題が無いというわけではないそうです(「万葉集に出会う」)。こんな調子で万葉集の歌の読み方はどうしても議論の俎上に挙げられやすいものなのです。
特に今回取り上げる歌は、万葉集のほぼ冒頭に位置しているのにもかかわらず、読み方が定まらないまま1000年以上も議論されている難問です。それは、この歌が「莫囂圓隣歌(ばくごうえんりんか)」と呼び慣らわされて今日に至るほど。世紀の謎どころか、千年紀の謎となっているのです。
<歌の詳細>
莫囂圓隣歌を少し詳しく見ていきます。
まずは核心を迂回して下の句から。
吾瀬子之射立爲兼五可新何本
下の句はだいたい読み方も解釈も次のように定まっているようです。
読み「吾(わ)が背子(せこ)が い立(た)たせりけむ 厳橿(いつかし)が本(もと)」
意味「私の夫(愛する人)がお立ちになったという、神聖な橿(かし)の木の元よ」
この下の句では、愛する人への追慕の気持ちが美しく歌われています。歌人で万葉集の研究者でもある斎藤茂吉は上の句の読みが特定できないと認めつつも、下の句について「この句は厳かな気持を起こさせるもので、単に句として抽出するのならば、万葉集中第一流の句の一つと謂(い)っていい」と、自身の「万葉秀歌」にこの歌を挙げています。
下の句が良いだけに、上の句の読み方も気になります。次に問題の本丸である上の句を見ていきましょう。
莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣
莫:バク、「莫=な(し)」
囂:囂々(ゴウゴウ)たる非難の「囂=ゴウ」。「囂=かまびす(し)」。
圓:エン。円の旧字体
之:シ。「ノ」と読む用法はほとんど無いらしい。
謁:カツ、エツ。「謁=まみ(える)」なお異本では「湯」と書かれているものもある。
氣:気の旧字体。
なお、この歌は「紀の温泉に幸しし時に、額田王の作れる歌」と、紀ノ国(今の和歌山県あたり)の温泉に天皇が行幸したさいの歌とされています。
<万葉仮名の読み方>
万葉集が書かれている漢字による表現方法は「万葉仮名」と呼ばれています。この万葉仮名には読み方の手順、セオリーもあり、その解説はいろいろなサイトでご覧いただけますが、乱暴に要約するとだいたい次のものです。
(1)いわゆる漢字の音読み、訓読みも利用される。訓読みの一部利用もある。
(2)漢文のように読み返し点を付けるような読み方もある。
この句では「莫」以下を読み返して「ナク」と読む方式もある。
(3)「十六」を「シシ」、「八十一」を「クク」と読ませるような言葉遊びもある。
莫囂圓隣歌は、こうした(1)~(3)の通常の読み方ではきれいに読み下せないため、全体を読み通すために一部の文字を読めるように差し替えるような、本来ならば禁じ手となるような方法がどんどん利用されています。というのは、大伴家持もしくは最終的な編者による原本が失われ、すでに950年の最初の公式読解の段階でも写本が伝えられるだけとなっていたため、オリジナル原本の書き写し間違いも十分に考えられるからです。読解には問題文そのものを書き換える必要もあるかもしれないわけです。とはいえ、それはそうかもしれませんが、その結果、もう何が何やら分からないことになっています。
<読み方の例>
賀茂真淵(江戸中期) 「紀伊国の山越えて行け・・・」※斎藤茂吉も留保を付けながら採用。
本居宣長(江戸中~後期)「竃山(カマヤマ:地名か)の霜消えてゆけ・・・」
間宮厚司(2001) 「静まりし夕波に立つ・・・」
・・・・
一説によれば90種類の読解例があるそうです。。。
<チャレンジ!>
ここまでの記事は、問題の所在と周辺情報しかお伝えできていませんが、恐らく最初はこれくらいの情報で十分だと思います。これまで天才鬼才博覧強記の先学が解を導き出せなかったのですから、素人だけが到達できる境地で勝負です。
皆さん、では、チャレンジしてください!
あなたが日本人千年の疑問を解決して名を残すことになるのかもしれません。
<参考>
本記事は、次に挙げる書籍の他、Wikipediaにも多く拠って書かれています。
実はWikipediaに「莫囂圓隣歌」という項目あり、参考にしています(2024年6月時点)。こちらに多くの説の記載もありますので併せてご覧ください。
・「万葉集」 佐竹昭広ほか(岩波文庫、2016年)
・「万葉秀歌」 斎藤茂吉(岩波新書、1938年,1953年改版)
・「万葉集に出会う」 大谷雅夫(岩波新書、2021年)