「テープおこし」とは不思議な言葉です。その行為自体はきっと録音テープの発明とともに発生したのでしょうが、「テープおこし」*という呼称はその行為が商売の対象になった頃に定着した、いわゆる造語だそうです。この表現の他には「反訳」、「筆耕」、「転書」、「テープライト」などと個々様々に表現されているようです。しかし、もっともポピュラーなのは「テープおこし」という呼び名ではないでしょうか。
「テープおこし」とは言いますが、今日では録音機器が進歩また多様化し、カセットテープだけではなく、MD、ビデオ、さらにはパソコンで利用できる音声データなど、さまざまな媒体で簡単に録音できるようになりました。実際に近年は音声ファイルからの文章化が増加の一途をたどっています。しかし、それでもまだ「テープおこし」という表現が一番定着しているようです。たとえICレコーダー(ボイスレコーダー)で録音された音声ファイルから文章を作成しても、やはり「音声ファイルのテープおこし」だというわけです。
他方、「テープおこし」の「おこす(起こす)」という言葉には、辞書によると「中にあるものを外に現れるようにする」ことが原義にあるそうです。たとえば「田おこし」は田に鍬を入れ、土の中に空気を入れて微生物の働きを活性化することですが、「おこす」とは、そのように潜在的な何ものかを顕在化してあり得べき姿にすることを指すのでしょう**。たしかに、カセットテープのなかに磁気信号として潜んでいる人の声を、手間ひまかけて目に見えるように文章化すること、この行為には「おこす」という表現がぴったりくるのではないでしょうか。その行為自体は、対象がビデオであっても音声ファイルであっても、やはり同じ「おこす」です。
ところで、英語では「テープおこし」のことを「transcription」と表現します。「trans」という接頭語には「・・・を越えて」、「向こう側の」、「別の状態へ」というニュアンスがあります。translate(翻訳)、transport(輸送)などの「trans」です。そして後半の「scription」は「script」に通じ、手書き文字や文書、台本などの意味となります。そこから「transcription」とは、人の声から文字文書への形態転換を指す言葉になったのでしょう。和語の「おこす」という言葉に秘められた情緒はありませんが、音声から文字への「転換」を意識している点で、「transcription」とは言い得て妙というべきかもしれません***。
録音媒体の主流はカセットテープから別のものになりつつありますし、コンピュータが人の声を完全に認識してすべて文字化する時代が到来するかもしれません。しかし、これまで億単位の費用が投じられた研究をもってしても、今はまだ人が何度も繰り返し聞き直して入力していく手法が一番正確で効率的なようです。「テープおこし」という言葉も、これからどのような変遷をたどるのか楽しみですが、まだしばらくは活躍してもらわなくてはならないようです。
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* アドレスでは「テープ起こし」ではなく、「おこし」とひらがな表記で統一しています。
** 「筆耕」という呼び名も、その田おこしのイメージに由来しているのかもしれません。
*** 「転書」という表現はtrans-scriptionの小節ごとの翻訳なのでしょう。