みなさんは「耳が洗われるようだ」という表現を聞いたことがありますか。私は会社でテープおこしの制作担当者が口にするのを何度か聞いたことがあります。初めは意味が分からないので、高校時代の国語の副読本にあった漢文の故事を連想しました。ご存じの方も少なくないと思いますが、次のような話です。
時代は古代の中国、後に立派な武将となる孫楚という人が若いときに隠遁生活を送りたいと知り合いに言いました。私は野に引きこもり、「石で口をすすぎ、川の流れを枕にする」のも悪くないと思う、と。若気の至りで格好を付けたところまではよかったのですが、これは明らかに「川の流れで口をすすぎ、石を枕にする」の言い間違いです。それを指摘されると、孫楚は自らの間違いを認めず、逆に「流れを枕にするのは俗世間の話でけがれた耳を洗いたいからだし、石で口をすすぐのは俗世間の浅ましいものを食べた歯を磨きたいからだ」と言い返したそうです。
この話は、「石に漱(すす)ぎ、流れに枕(まくら)す」、枕流漱石(ちんりゅうそうせき)という故事となって伝えられ、負け惜しみの強いことを意味することになりました ―ちなみに、夏目漱石のペンネームもこの故事から取られているそうです。
さて、それではわが社で聞こえた「耳が洗われるようだ」というのは、どのようなことだったのでしょうか。それは、負け惜しみのことでも、また、聞きたくもない俗世の話のことでもありませんでした。どうやら聞き取りにくい録音の仕事を一つやり終え、その後に手がけた仕事の録音が思いのほか聞こえたのでその感動が独特な表現に結実したようです。聞き取りにくい録音は一言一言何が話されているのか聴力に集中しなければなりませんが、よく聞こえる録音では聴き取ろうという意気込みもないままに自然に言葉が頭にサラサラと流れ込んできたのでしょう。それは、前の仕事の耳のしこりをほぐし、癒やし、リフレッシュさせてくれたのに違いありません。
「耳が洗われるようだ」 ―これは私たちの狭い業界の話ですので故事成語にはなりそうもありませんが、その俗世間まっただ中の業界人の感覚がなかなかうまく伝わる表現だと思ったのでした。