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リレーコラム(第3回) ~ぶり起こし鳴り響く金沢にて~

金沢ではここ数日「ぶり起こし」が鳴り響いています。「ぶり起こし」とは、北陸特有の晩秋から冬の間に落ちる激しい雷のことです。この雷によって出世魚の「ぶり」の稚魚「こぞくら」は寝覚めを襲われ、驚いて泳ぎ回っているうちに「かんど」から「ふくらぎ」へと成長し、ついには立派な「ぶり」に出世するのです。きときとの「ぶり」のお刺身が私たちの口に入ると思えば、「ぶり起こし」は決して暗い冬の到来を告げる嫌なヤツだとも言い切れません。


ところで、雷といえば、日本でも西洋においても、古来、単なる自然現象というよりも、世の中に対する警鐘と考えられていたようです。雷神ゼウスも天神菅公(「くわばら、くわばら」)も人の所業への警鐘が雷に託されて擬人化されたものでしょうし、身近では「カミナリ親父」もまさに警鐘を鳴らす人(?!)です。


こんなことを書くのは、「テープおこし」を生業にしていると、ちょっと大袈裟に言えば朝に晩にと危機や厄災に対する警鐘を私たちは耳にすることになるからです。温室効果ガスによる急激な気温上昇、止まることなく露見し続ける企業の不祥事、食の安全の崩壊、家族の絆の喪失、市場経済のグローバル化による貧富の拡大(国内まで!)・・・と枚挙に暇(いとま)がありません。私たちはそんな雷鳴的な警告を毎日、それこそ繰り返し繰り返し録音を巻き戻しながら聴いています。


仮に世の中に危機やそれに警鐘を鳴らす人々がいなくなれば、私たちの仕事の種が少なくなるわけで、それはそれで困るのですが、ふと空恐ろしくなることもあります。もしかするとイエローカード的な警告が溜まりすぎて、そのうち雷神さまがドッカーンと破滅的な天罰を落とすかもしれません。そんな日が来る前に人類は起死回生の一手を打つことができるのでしょうか。


いえいえ、つい警鐘家の先生方につられて柄にもなく「人類」とか「起死回生の一手」と大きく構えてしまいましたが、思うに、実は逆に、何事も小さな身近なところからコツコツと積み上げていくことが肝心かな、と最近は感じています。私が子どもの頃には、サザエさんのように買い物かごを抱えて商店街におつかいに行き、お店のおばさんに尋ね聞き助けられながら、近所の農家の作った季節の野菜や近海の魚を新聞紙にくるんで買ってきました。決して物質的には豊かではありませんでしたし、問題も多かったようにも思いますが、それでも今必要な「何か」がそこにはあったような気がしてなりません。昭和時代の懐古ブームや今盛んなLOHASが志向しているものも、そんな小さく身近すぎて以前は当たり前だったものだと思うのです。


毎日仕事で耳にしている雷鳴的な警告から、「ぶり」のように「出世」とまでいわないにしても、日々小さく目覚めて身の回りからゆっくり成長できたらと思います。「ぶりおこし」から「テープおこし」のお話でした。

(TTL制作部 M.I.)




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