私たちのお客様の中で、ワンテーマにこだわって膨大な量のインタビューを実施される方々がいらっしゃいます。主に大学などに所属する先生方ですが、その研究分野は本当にさまざまです。
たとえば、経営学のある先生は、一つの企業に出向かれて年間で合計30時間もインタビューされ、それを何年も断続的に実施されています。また、別の防災研究の先生は、地震などの災害に立ち会われた自治体職員や消防士、さらには一般住民の方々に対してインタビューを延々と繰り返しています。
これらはアンケートで一問一答式にYes/Noで回答できるような聞き取りではなく、またかといって、アンケートの「その他」欄に書かれるような補足的な調査でもありません。いろいろやり取りはありますが、基本的には大くくりの質問にインタビューイが周辺の事情もあれこれ回り道しながら回答する方式です。
ずっと疑問だったのは、これほどおびただしい量のインタビューが一体全体何の役に立っているのかということです。そもそもインタビューの中身は画期的な製品開発だったり、ある災害にあった時の対応だったり、歴史上一回きりのことですから、それらについて些末冗長な会話を含めた膨大なインタビューを記録しても、それがその後いったい何の役に立つのか、と訝(いぶか)しがっていたわけです。
ところが、研究世界の動向か、単なる偶然か分からないのですが、ここ何年かの間に、私たちの知る先生ご本人やその関係の方々が、そんな長年の疑問に答えてくれるような著書をぽつぽつと発表されるようになっています。そのおかげで、どうしてかくも膨大なインタビューを記録するのか、その意味が何となく分かってきたような気がしています。
(1)オーラルヒストリー:歴史記録のための手法としてのインタビュー
インタビューが有効な手法として利用されるものの中に、たとえば、公式記録には残されにくい意志決定の経緯やいわゆる裏話などを記録するものがあります。政治家や企業経営者が過去に下した重大な決断について、インタビューという方式は、その背景もひっくるめて歴史的な事実として記録し後世に伝えることができます。決断の経緯や込み入った微妙な内容を聞き取るには、聞き出したいポイントから遠いところから聞き取り始め、またそのポイントの周辺を行ったり来たりしなければなりません。たとえば、オーラル・ヒストリーという手法では、事象の背景までひっくるめて史的な遺産として残そうという情熱から、インタビューイの年少時代の聞き取りから始めることが往々にしてあるようです。気が遠くなるほど莫大なエネルギーを投じなければ、機微を含むような真実は追究できないようなのです。
(2)ケースメソッド:ケースのマテリアルとしてのインタビュー
他方で、史的遺産というほどタイムスパンの長いものではなく、もっと短期的に利用価値のあるインタビューも数多く繰り返されています。といっても、この種のインタビューも、聞き取りたいことはアンケートの選択肢に簡単に落とし込める質(たち)のものではなく、インタビュー対象者のごく個人的な体験や思いが聞き取りの対象になっています。この種のインタビューで典型的なものは、インタビュー内容がケースメソッドのケース(事例)に作り上げられるものです。
比較的古くからあるところでは、経営学の教材として、成功した企業人や今まさに起業した方にインタビューをして成功談や失敗談を聞き出し、それを元にケースメソッドのケースが作成されてビジネススクールなどで利用されています。
今では行政学や防災学の分野などでも、インタビューの記録を利用して、その分野でのケースメソッドのケースが作られたりしています。たとえば防災学の分野では、震災を体験した消防士や行政職員からの聞き取りをまとめ、来るべき災害に備えるために他の地域の消防士や他の自治体の職員のための勉強会に利用されているそうです。災害がおこった困難なときに、まず、何をすべきなのか、またその後にどのような問題が立ち上がってくるのか、ケースメソッドでは実際の経験者の体験を通して、自分ならばどうするのかと感情移入しながら勉強ができます。
膨大なインタビューのテープおこしをする際に「こんな個人的な話を文字にしてどうするのかな」と思うこともしばしばです。ところが、意外にもそんな個人的な話にこそ、その人の意志決定の内実が詰まっていて、それが歴史的な史料やケースメソッドの素材になっていました。その意志決定自体は、やはり個人的で、その場限りのものには違いありません。ですが、その記録を元に他の人が追体験できるようなものになれば、皆で共有できる財産となるわけです。
・・・どうやら私たちがひたすら地道にテープおこしを続けていることもムダではないようです(次回に続く)。
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参考文献
*「オーラル・ヒストリー入門」 御厨貴(編) 岩波書店 2007
*「ビジネス・インサイト―創造の知とは何か」 石井淳蔵 岩波新書 2009
*「防災の決め手『災害エスノグラフィー』―阪神・淡路大震災 秘められた証言」
林春男(編) 日本放送出版協会 2009
*「組織エスノグラフィー」 金井壽宏、佐藤郁哉、キデオン・クンダ 他 有斐閣 2010